子供を持つ女性の
労働負担に関する生理心理学的調査
産業医学総合研究所 須藤綾子
働くお母さんが増えています。女性の就労状況を表すM字型カーブの底が年々浅くなっています。M字型カーブというのは、横軸に年齢、縦軸に労働力率(その年齢の全人口に対する働いている人と働きたい人の合計の比率)をとって表しますと、女性の場合、30歳代を中心に結婚や育児などのために退職する人が多くなり、Mの字に似た形になるのでこう呼ばれています。M字の真ん中の窪みが浅くなるということは、結婚や出産にかかわらず働き続ける女性が多くなっているということを示します。また、総務庁の調査によりますと、6歳以下の子供を持って、農林業以外の分野で雇われて働いている母親の半数近くは、労働時間が週35時間以上となっています。つまり、毎日比較的長い時間働いているお母さんが多いわけです。
一方、家庭電化製品の普及や商品流通の多様化などによって家事が簡単になってきてはいますが、家庭での家事や育児は現在でもほとんど女性が行っています。このため、全体としては女性の負担が大きくなっていると考えられます。労働省では5年毎に「労働者健康状況調査」を実施していますが、その報告書によりますと、30歳以上では、「普段の仕事で身体が疲れる」と訴える割合はいつも女性の方が男性より多いのです。これは、働く女性の健康を守る上できわめて重要な問題であり、その理由をはっきりさせて何らかの対策を立てる必要があると考えられます。
しかし、働く女性の負担については、これまであまり詳細に研究されてきませんでした。働く女性のために対策を立てるにしても、また、それを多くの人たちに理解してもらうためにも、負担の原因が何なのかを客観的な方法で明らかにする必要があります。そこで、今回は、子育てが働くお母さんにとってどの程度大変であるかを、労働生理心理学的方法で明らかにしようと考え、調査を行いました。
この調査の対象者は、某製造業の研究所に勤務する研究員の方たちで、子供を持つ女性13名、子供のいない独身の女性12名および子供のある男性12名です。対象者の平均年齢は、それぞれ順に、36.8歳、37.2歳、36.5歳で、3群ともほぼ同じです。勤務は、午前10時から午後3時までをコアタイムとする週休2日のフレックスタイム制でした。
なお、子供がある群というのは14歳以下の子供を少なくとも1人以上持っている女性または男性としましたが、一番小さい子供の年齢が6歳未満である対象者は女性、男性とも8名でした。
調査は、各対象者について、勤務日2日、休日1日の午前10時から午後10時まで各種の検査を行いました。検査した項目は(1)尿および唾液の採取、(2)心拍数や血圧の測定、(3)万歩計による計測、および(4)質問紙への記入です。尿と唾液についてはストレスホルモンといわれるカテコールアミンとコルチゾールを化学的に分析定量しました。ここではホルモンと心拍数の結果を中心に説明します。
調査結果の説明に入る前にカテコールアミンとコルチゾールについて簡単に紹介します。
カテコールアミンにはアドレナリンとノルアドレナリンがあります。いずれも化学構造がカテコール核をもつアミンであるためこういう総称がつけられています。ノルアドレナリンもアドレナリンも交感神経の刺激を化学的に伝えることにかかわっている重要な物質で、交感神経の活動が高まると神経からの放出が多くなり、血液中の濃度も上昇します。尿への排泄も多くなります。精神的な緊張によって尿中のカテコールアミン量が増加することが内外の研究者によって報告されています。私たちが実験的に調べたところでは、アドレナリンは比較的短時間の精神的作業で増加します。ノルアドレナリンは強い肉体的作業によって増加しますが、短時間の精神的作業ではあまり変化しません。しかし、長時間にわたって精神的な緊張が持続するとノルアドレナリも増加します。これらのカテコールアミンの増加は交感神経の緊張を表しており、交感神経が支配する循環器系を中心に影響がでる可能性があります。
一方、コルチゾールは副腎皮質から分泌されるホルモンで、ストレス時の生体反応に重要な役割を果たしていると考えられています。生理的な役割は必ずしもはっきりしていませんが、糖代謝を調節し、免疫機能を抑制するなどして、ストレスに対処するため身体の臨戦体勢を準備すると推測されています。血中コルチゾールは尿へ排泄されるとともに唾液へも分泌されますので、唾液中のコルチゾールを分析することもあります。比較的強いストレス,たとえば、大勢の人の前で講演する時などは尿中および唾液中コルチゾール量が増加します。しかし、実験的な精神作業負荷では、カテコールアミンほどはっきりした変化はみられないようです。
さて、調査の結果をお示しします。
図1は、勤務日と休日の尿中ノルアドレナリン量と唾液中コルチゾール濃度の時刻ごとの変化を、子供を持つ女性、独身女性、子供を持つ男性の3群について示したものです。●印は勤務日の平均、○印は休日の平均で、縦のバー(棒)は測定値のばらつき(標準誤差)を表しています。
ここでひとつ「概日リズム」について補足説明します。カテコールアミンやコルチゾールなどのホルモンの分泌には、おおよそ1日を周期としたリズム(概日リズム)があって、一般的には、朝は高く、夕方から夜にかけて低くなることがわかっています。この概日リズムは特にコルチゾールの分泌で強く認められます。この調査の結果でも、そのような概日リズムが見られますが、この変化はストレスとは一応関係ないと考えられています。
今回は、勤務日と休日を比較して勤務日がどの程度負担になっているかを調べたわけですが、この場合、概日リズムを考慮すると、同じ時刻の数値どうしを比較する必要があります。そこで、勤務日も休日も一定の時刻に検査を行ったわけです。その他、調査対象者の皆さんには、勤務日はできるだけ通常の勤務をして下さるように、また、休日は激しい運動や新しい経験は避けるようして身体的にも精神的にもルラックスした状態で過ごして下さるようお願いしました。
次に、調査結果の説明をさせて頂きます。
図1の尿中ノルアドレナリン量の結果をみますと、独身女性や子供を持つ男性では、勤務日と休日との間にほとんど差がありません。それに対して子供を持つ女性では勤務日のレベルは休日のレベルよりかなり高くなっています。特に夕方から夜にかけての差が大きいことがわかります。しかし、休日のレベルどうしを比較すると子供を持つ女性は独身女性や子供のある男性と差がありません。このことは、子供のある女性では、他の群に比べて、勤務日の夕方から夜にかけて負担が大きいことを示していると考えられます。ノルアドレナリンの下の図は唾液中のコルチゾール濃度の結果を示したものですが、これにも同じような傾向があります。つまり、独身女性や子供のある男性では勤務日のレベルが休日より高いということはほとんどありませんが、子供のある女性では勤務日の方が休日より高くなっています。
なお、図は示しませんが、精神的な緊張を現す指標として知られているアドレナリンの量は、調べた3つ群のいずれでも勤務日の昼間の10時〜19時の値は休日より高く、勤務が精神的緊張を引き起こしていることがわかりました。帰宅後(19時〜22時)のアドレナリン量はかなり低下しますが、子供を持つ女性では、勤務日の方が休日より高い傾向があったのに対し、独身女性や子供のある男性では勤務日と休日の間に差はありませんでした。このようにアドレナリンの結果も、子供のある女性では帰宅後の負担が無視できないことを示しています。
次に、退社時の17時から就寝時の22時まで記録した心拍数の結果を図2に示しました。勤務日の心拍数は退社時刻直後も休日より高いのですが、独身女性や子供のある男性では時刻を追って低下していきます。しかし、子供を持つ女性では22時頃まで高いレベルが続きました。
前述のように子供のある女性では8名が末子の年齢が6歳未満でした。図3は、末子年齢6歳未満の女性、末子年齢6歳以上の女性5名、および独身女性12名の勤務日と休日のアドレナリン量を示したものです。この図から末子6歳未満の女性の勤務日のアドレナリン量が多いことがかわります。尿中ノルアドレナリンにも同じような傾向が認められました。これらの結果は、子供が小さい女性は職場で働いている間もなんとなくせわしなく過ごしていることを示していると考えられます。なお、男性では末子年齢別に集計してもホルモン量などに差がありませんでした。
ところで、今回の調査対象者に、通常の生活で1週間に、主要な6種類の家事(朝食の準備、夕食の準備、夕食の後片づけ、洗濯物、居間の掃除、子供の送迎)に費やす時間を質問紙できいたところ、子供のある女性では667分、独身女性では234分、子供のある男性では18分でした。子供のある女性の家事時間は男性の家事時間よりずっと多くなっていますが、この結果は総務庁の調査結果とほぼ同じです。
以上の結果から、子供のある女性では、独身女性や子供のある男性に比べて、勤務日の負担が大きいのではないかと考えられます。夕方から夜にかけてのホルモン量などが高いこと、また、末子の年齢が6歳未満の場合にこの傾向が強いことなどから、職場における仕事そのものよりも家庭での家事・育児が負担の原因ではないかと推測されます。子供のある女性では他の群に比べて家事時間が著しく長いこともこの推測を裏付けています。
子供が小さい場合女性の負担が大きいことは、既に他の研究者が質問紙を用いて行った調査によっても示されています。即ち、子供が小さい女性の場合、生活時間構成が特殊で、社会的文化的活動に費やす時間が少ないというデータが提出されていますし、また、自覚的疲労症状のアンケート調査によっても既婚女性労働者の労働負担は乳幼児をもつ母親で大きいと報告されています。今回の私たちのデータによって、これらの結果が客観的な測定により裏付けたられたといえます。働く女性にとって、家事、特に育児が大きな負担となっていることが明確になりました。家庭でのパートナーを始め多くの人々の理解が一層深まるように期待されます。
(須藤綾子)
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