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National Institute of Industrial Health

フロン代替有機溶剤
「2-ブロモプロパン」中毒をめぐって

労働省産業医学総合研究所  久永直見、加藤桂一、菅野誠一郎

1.夏の夜の思いがけない情報

 1995年 8月26日の夜のことだった。韓国から電話が入った。産業安全公団産業保健研究院からで、「フロン代替品として2-ブロモプロパンを使った作業者に、月経停止や精子数減少、貧血がでた。この物質の毒性情報が日本にないか。」という問い合わせであった。話を聞いて、思い当たるのは、強い生殖毒性で有名なDBCP(1、2-ジブロモ-3-クロロプロパン)との化学構造の類似性で、これは重要だと感じた。そこで早速、産業医学総合研究所内で情報検索をし、韓国側に情報を伝えた。一方、韓国側からは後続情報が提供され、研究協力が開始された。

2.韓国の中毒発生職場と患者

 京釜高速国道を釜山市境から9km北上すると梁山インターチェンジがある。ここから近い労働者1386名の電子部品製造工場が当該事業場である。この事業場の設立は、1974年で、日本企業との合弁であった。1995年 7月、工場の看護婦さんが、一つの工程の従業員に月経停止が異常に多いことを知ったのが、中毒発生判明のきっかけという。事業所からの通報を受け、韓国政府労働部は、8月に上記の産業保健研究院に調査を指示した。調査の結果は、次のごとくであった。

1. 患者は、テレビなどに使われる押しボタン式スイッチの組立工程で発生していた。組立ラインは 7本あり、1本のラインは、1台の局所排気フード付き浸漬槽と3-4台の自動組立機で構成されていた。槽内の浸漬液の組成は、2-ブロモプロパン(別名イソプロピルブロマイド)97.4%、n-ヘプタン0.3%、1、2-ジブロモプロパン0.2%、他に1、1、1-トリクロロエタン、トルエンなど 5種類が各0.5%以内であった。浸漬液には0.03重量%程度のポリテトラフルオロエチレンが混ぜられていた。スイッチ部品は、浸漬槽に数秒間漬けられ、脱脂洗浄ならびに樹脂と端子の隙間のポリテトラフルオロエチレンによる充填がなされていた。この充填は、後のハンダ付け工程で鉛ヒュームやフラックスが、接点部分ににじむのを防ぐためであった。浸漬後、部品は自動組立されていた。勤務は12時間 2交代であった。
2. 調査時には作業は既に中止されていたため、模擬作業をして作業場内14ヵ所で測った気中2-ブロモプロパン濃度は、9.2-19.6ppmであった。トラブル時にのぞく局排フード内、浸漬液表面から 1m上では、2-ブロモプロパン4141ppm、n-ヘプタン30ppmであった。この職場では、2台の浸漬槽の局所排気装置が94年11月末まで3.5-6ヵ月間、未設置であり、また94年11月から95年 7月まで、浸漬液自動注入装置がなく、手作業で液の供給、混合をしていたため、高濃度曝露もあったと推定された。
3. 女性作業者25人中、16人に月経停止、うち 8人は汎血球減少(赤血球、白血球、血小板がともに減少した状態)も併発していた。男性作業者 8名中、 2人は無精子、4人は精子減少。うち 1人は汎血球減少も併発していた。臨床検査結果と症状から、標的臓器は卵巣、精巣の生殖細胞、骨髄と考えられた。
4. 自覚症は、女性では頭痛、めまい、脱力感などが多く、2名に打撲で皮下出血をしやすいとの訴え。男性では頭痛やめまいの訴えがあった。
5. 同工程では、94年 2月に、1、1、2−トリクロロ-1、2、2-トリフルオロエタンが、オゾン層保護のために使用中止となり、前記の2-ブロモプロパンを主成分とする溶剤に代替されていた。代替品は日本からの輸入品であった。
6. 代替の後に、月経停止が生じた。
7. ベンゼン、セロソルブなど強い造血器毒性や生殖器毒性が既に知られている物質の使用はなし。
8. 同一建物内の2-ブロモプロパンに曝露されない工程の作業者(男12人、女65人)では、同様な健康障害はない。

3.日韓の協力した対応

 毒性情報検索では、2-ブロモプロパンの生殖・骨髄毒性の報告は見いだされなかった。しかし、韓国での調査結果からみて、健康障害の原因は、2-ブロモプロパンを主成分とする有機溶剤である可能性が高いと判断された。10月には、韓国産業安全公団産業保健研究院から上述の調査に関する詳細な報告書が出された。この報告書は、おりから日本の政府開発援助の一環として1992年から5ヵ年計画で展開されていた韓国勤労者職業病予防事業でソウルに置かれていた日本諮問官室により直ちに翻訳され、正確な情報把握に役立てられた。
 日本の労働省は、12月12日に事務連絡「2-ブロモプロパンによる健康障害予防のための緊急措置について」を業界団体や化学物質安全情報センターに通知し、韓国で生じた健康障害の概要、曝露防止対策・教育等の必要性を伝えた。
 行政面での対応と並行して研究面での協力も進み、研究者の相互訪問等、緊密な情報交流がなされた。2-ブロモプロパンの毒性に関する動物実験も双方で実施され、ともにヒトの健康障害発生を裏付ける結果が得られている。名古屋大学の市原、竹内らの報告によれば、雄のラットでの1日8時間、9週間ガス曝露の結果、対照群と比べて、300ppm曝露では、精巣重量は47%、精子数は63%、活動精子率は18%に減っていた。1000ppm曝露では、変化はさらに大きく、活動精子は皆無であった。末梢血液の変化は生殖器に比べると軽かったが、1000ppm曝露では、赤血球数は88%、白血球数は61%、血小板数は73%に減っていた。3000ppm曝露ではラットが瀕死となり、9-10日で曝露が中止されたにも拘わらず、9週後の観察では、活動精子はゼロで、永く障害が残ることが示唆された。また、1996年10月に日本産業衛生学会有機溶剤中毒研究会で名古屋大学の上島らが報告した雌のラットを1日8時間、9週間ガス曝露した実験の結果でも、300ppmと1000ppmで子宮重量の減少、性周期の異常が認められている。

4.「地球に優しくヒトに怖かった」をくり返さないために

 韓国での患者発見に始まる2-ブロモプロパン問題への対応は、両国の政府レベル、研究者レベルでの協力により、速やかになされたといえよう。しかし、今回の問題の背景をみると、そこには化学物質の安全衛生管理の基本に関わる問題など、いくつかの課題が提起されていることに気づく。
 第一は、オゾン層破壊クロロフルオロカーボンの代替品の毒性への注意である。2-ブロモプロパンのように「地球に優しく、ヒトに怖い」物質が、いつの間にか職場に流れ込んでくる可能性は今もある。MSDSの活用、毒性情報が少ないことと毒性がないこととを混同しないことが重要である。
 第二は、既存化学物質の有害性情報の見直しである。2-ブロモプロパンは、医薬・農薬・感光剤の中間体やアルキル化剤などとして使われてきた既存物質であった。フロン代替有機溶剤という新しい用途に適用されて未知であった毒性が明るみにでた。同様な物質は他にも多いと思われ、有害性情報を吟味し、適切な対処を可能にするシステムが確立されるべきである。
 第三は、1-ブロモプロパン、ブロモエタン、ブロモブタンなど、2-ブロモプロパンに類似した化学構造を持つ産業化学物質の有害性の検討であり、早急に取り組む必要がある。
 第四は、化学製品の輸出入に際して危険有害性情報の授受が適切になされるようにすること、ならびに万が一、健康障害が発生したときには、情報が正確かつ迅速に伝達され、速やかに対応できるようにしておくことである。アジア・南米などの急速な工業化を図る国々に、多量の化学製品を輸出しているわが国にとって、この点は重要である。2-ブロモプロパン中毒への対処に際しては、先述の韓国勤労者職業病予防事業を通じた日韓交流の拡大が大きな役割を果たしたが、今後、政府、研究者、企業など様々なチャンネルでの交流が一層活発になることが望まれる。
 (以上は、労働安全衛生広報No.666(平成9年1月1日、28-31ページ)掲載の筆者らのレポートを短縮したものである。)

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