VDT作業のエルゴノミクス
−パソコン・ワープロの上手な使い方−
産業医学総合研究所 斉藤進
VDT作業について
コンピュータがふつうの職場に導入されるようになってきたのは、今からおよそ20年前の1970年代後半のことです。それまでコンピュータは、大学や研究所などの計算機センターに置かれ、特定の人々だけがコンピュータと対面する仕事をしていました。オフィスへのコンピュータの導入は、はじめは新聞社の編集業務や航空会社の予約業務など限られた部門にみられました。今では、オフィスや工場あるいは家庭で、コンピュータはふつうに利用されています。コンピュータの端末に携わる人々は、テレビジョンのブラウン管に似たCRTディスプレイの画面を見ながら仕事を行うため、VDT(Visual Display Terminal:視覚表示装置)作業者と呼ばれています。最近では、CRTとは異なる表示特性をもつ液晶などフラットパネルディスプレイを搭載したノート型パソコンや携帯情報端末などもよく利用されています。また、外出先でも利用できる携帯可能なモバイルコンピュータも登場しています。このように、VDT作業の内容や定義についての考え方が複雑になってきています。
エルゴノミクスとは
エルゴノミクスとは、ギリシャ語の「仕事」と「法則」を合わせてできた言葉です。疲れずに快適に仕事を行うための科学的な法則性を探すことが、エルゴノミクスの目的です。人間工学やヒューマンファクターと呼ばれる研究分野と、多くの場合は重なります。VDT作業のエルゴノミクスについての課題は、ディスプレイやキーボードなどの使用機器、照明や作業時間など作業環境、ソフトウェアの使いやすさなど極めて多岐にわたります。VDT作業者のストレス・疲労・健康障害などについて議論するための国際会議も、世界各地で数多く開催されています。以下に、これまでに行われてきた多くの方々や私どもの研究から明らかになったパソコンやワークステーションの上手な使い方について、述べることにします。
VDT作業のエルゴノミクス上の課題
VDT作業のエルゴノミクス上の課題として、これまでの研究成果からつぎの要因をあげることができます。
1.ディスプレイや照明・採光などの光環境要因
2.机やイスなど作業者の姿勢に関する要因
3.温湿度、空調、騒音など物理環境要因
4.休憩時間や職務設計などの作業設計要因
5.年齢、健康、適性などの個人的要因
つまり、快適なVDT作業を実現するためには、このような多くの要因が関係しています。
VDT作業のエルゴノミクスの国際標準規格化
国際標準化機構(ISO)では、エルゴノミクスと名付けた技術委員会を設置し、VDT作業のエルゴノミクス規格を作成する作業を進めています。この規格は、「VDTを用いたオフィス作業の人間工学的要求事項」という名称のもとに17部で構成される大型の国際規格 ISO 9241シリーズで、一部はすでに発行されています。わが国の工業技術院では、国際規格を国内規格として導入する方針に基づき、ISO 9241-3を1994年12月にJIS規格「人間工学−視覚表示装置を用いるオフィス作業−視覚表示装置の要求事項(JIS Z 8513)」として制定したのをはじめ、他のパートも国内規格に導入されつつあります。ご参考までに、ISO 9241シリーズの各パート名称を以下に記載します。
| ISO 9241-1 |
概論 |
| -2 |
仕事の要求事項についての手引き |
| -3 |
視覚表示装置の要求事項; |
| -4 |
キーボードの要求事項 |
| -5 |
作業場の要求事項 |
| -6 |
作業環境の要求事項 |
| -7 |
画面反射の要求事項 |
| -8 |
表示色の要求事項 |
| -9 |
非キーボード入力装置の要求事項 |
| -10 |
対話の設計基準 |
| -11 |
ユーザビリティの記述・手引き |
| -12 |
情報呈示 |
| -13 |
ユーザガイダンス |
| -14 |
メニュー対話 |
| -15 |
コマンド対話 |
| -16 |
直接操作対話 |
| -17 |
穴埋め対話 |
VDTのエルゴノミクスに限っても、このように作業の種類や考え方、入出力機器、作業環境、ソフトウェアのユーザビリティや対話基準など広範囲のことがらが議論の対象となっています。使いやすいソフトウェアの科学的分析などには、ヒトの思考を科学することと類似の困難さが存在します。しかしこの分野では多くの研究が活発に行われており、使いやすい作業環境を具体的に提言できる時代が遠からず来ることが期待されています。
VDT作業者の姿勢について
VDT作業者の姿勢について、エルゴノミクス上の課題を考えてみましょう。ヒトの姿勢についてエルゴノミクスが推奨していることは、「ヒトには正しい姿勢が一つ存在するのではなく、姿勢の変化を自由に行えるようにすること」です。筋肉は、大きな力を発揮しなくても同じ緊張を持続していると、疲れてしまうのです。例えば、手に何も荷物を持たなくとも、手を上に挙げ続けていることはできません。静的な緊張は、筋肉には苦手なのです。動かすことが必要です。
VDT作業者の姿勢について調査した例について述べてみます。大手電算機メーカのシステムエンジニアを対象とし、プログラム開発をしているときの姿勢を私どもで調査した結果があります。ディスプレイと作業者との距離つまり視距離は、平均値で46.1cm、変動を示す標準偏差では7.4cmという結果が得られました。このことから、VDT作業者は非常に拘束された姿勢を続けていることがわかります。ヒト体内での血液の動きは、筋肉の収縮を繰り返す筋肉ポンプにより促進されます。VDT作業では拘束姿勢が続き、筋肉ポンプの役割を阻害することになり、肩や頸部の痛みやこりと関係してくることが考えられます。これらの問題を解決するためのエルゴノミクス上の対策として、VDT作業時に使用するイスやディスプレイに対する配慮が重要となります。イスは動きやすいキャスターを備え、座面高や腰背部を支えるための背凭れを容易に調節できることが必要です。ディスプレイ本体も、前後の傾き(チルト)・回転(スウィーベル)の機構を備え、機構があるだけではなく実際に容易に調節できるようにしなければなりません。最近オフィスでの利用が急増しているノート型パソコンの多くは、ディスプレイとキーボードが一体型となっており、互いに自由な位置に動かすことができません。エルゴノミクスの最も重要な原則は、機械の側をヒトに適合させることです。ヒトが機械に合わせることではありません。ヒトが自由に姿勢を変えるとき、ディスプレイやキーボードやイスがヒトに合わせて位置や角度を変えなければなりません。このことがヒトを拘束姿勢から開放し、快適な作業環境を実現させることになります。エルゴノミクス上の原則とは逆に、動きにくく調節できないイス、狭い机に固定されたディスプレイ、結果としてヒトが機械や環境に合わせて働くということがしばしば見られます。
ディスプレイと照明環境の要件
VDT作業に使用されるディスプレイの種類が、このところ変化してきています。液晶に代表されるフラットパネルディスプレイ(FPD)を搭載したノート型パソコンの増加と、大型CRTディスプレイの登場です。FPD利用が増加した背景には、携帯性のよさ、機能の充実、省スペース、エネルギー消費や電磁放射の少なさなど多くの要因があります。大型CRTディスプレイが増加した理由は、アイコン利用など使いやすいソフトウェアの普及により、17インチ以上の大画面の陽画表示(明るい背景に暗い文字を表示することで、印刷された紙の文書と同じに見える)が利用者にとって都合がよいためです。
密度の高いVDT作業には、陽画表示のCRTディスプレイを利用することが、焦点合わせの速さなど眼の生理的応答特性からは薦められます。陽画表示の場合は、同じ発光輝度の陰画表示に比べて瞳孔径は縮小していることがわかります。陽画表示ディスプレイは、眼の焦点深度をより大きくし、眼のピント合わせの負担を軽減することからも推奨することができます。しかし、陽画表示のディスプレイを100ルクス以下の暗い部屋で使用することは、原稿やキーボードとディスプレイを交互にみるとき、頻繁に対光反射とよばれる瞳孔反応を引き起こすのであまり好ましくありません。
視線の高さとエルゴノミクス
書類を見るときの視線はふつう下を向き、遠くを見るときは上を向きます。エルゴノミクスの原則として、疲れの少ない適当な視線の高さは水平面から10-15度程度の下方とされています。仕事をしているときの視線について実際に調べたところ、VDT機器を使わない従来の机上作業の平均的視線高は約25度の下方にあることがわかりました。これに対してVDT作業時の平均的視線高は、約7.5度の上方となっていました。VDT作業時には、従来の机上作業より約30度以上も視線が上向くことになります。
上向き視線で近見作業を続けることは、多くの点で生理的に無理があり、眼の痛みや疲労と関係することになります。私どもが行った実験からは、視線が上向くことにより、
| 1. |
眼球露出表面積の増加(視線が上向くほど眼球表面が外気に晒される面積が増し、ドライアイや眼の痛みと関係します) |
| 2. |
斜位量の増加(両眼で見るために過剰な努力が必要となります |
| 3. |
輻輳安静位の遠方化(近くをみるための余分な努力が必要となります) |
などの生理的現象が起こります。したがって、視覚の生理的機構からは、近方をみるためには上向き視線は明らかに不利となります。近くをみるときには下向き視線となるようにワークステーションを設計し、機器を配置することが、エルゴノミクス上の原則となります。
ディスプレイは、机に直接置きましょう
パソコンのCRTディスプレイは、パソコン本体(CPU)の上に置かれることが多いのではないでしょうか。同じサイズのCRTでも、机上にディスプレイを直接配置することにより、視線は約8度下向きになります。その結果、眼球露出表面積を約0.3平方cm少なくすることができます。理想的には、ディスプレイの高さを調節できる機構を机が備えることが望ましいのですが、ふつうは市販されていません。そこで高さが67cm程度の机に(多くのパソコンデスクは、この高さです)、ディスプレイを直接置いて仕事をすることをお薦めします。CRTを埋めこむ方式のパソコンデスクを利用するときは、画面へのグレア(まぶしさ)となる天井の照明器具の映り込みを防ぐことも大切です。
おわりに
VDTのエルゴノミクスについて、私どもの行ってきた研究を中心に紹介してきました。これまでに、VDTのエルゴノミクスや労働衛生上の基準を述べたガイドラインが数多く提案されています。しかし、ノート型パソコンやCRTディスプレイの大型化に見るように、VDT機器などハードウェアに見られる変化は、エルゴノミクスなど機器の使い方に関する研究の進む速度に比べて十分に急激です。エルゴノミクスばかりでなく、エコロジーに対する配慮も重要であり、過大なエネルギーを利用して快適な作業環境を実現することは適当ではありません。自分のオフィスの環境条件だけではなく、地球規模での環境や生態条件を考えることが要求されています。利用者が、自らの知識と知恵で、これからのVDT使用環境を考えてゆくことが必要だと思います。なお、ここに述べた研究の内容を更に詳しく知りたい方は、当所のホームページにリンクしている研究業績欄から論文や著書などを検索して頂くことができます。
(1997年 8月 産業医学総合研究所 斉藤 進)
|