労働安全衛生総合研究所

伝えたい思いがあれば

独立行政法人労働安全衛生総合研究所

 かつて研究所の前理事長が小生に向かってこう言った。
「君は海外留学の経験がないのに、英語がよくできるな」
 いつも一言余計なことを言っては、前理事長の逆鱗に触れ、そのたびに雷が落ちていたので、職場の先輩から同情されて研究所の避雷針とか受雷針とか言われていた。こんな小生を前理事長が珍しく褒めた。夢かと思って頬をつねったら痛かったので、夢ではなかった。一方、めったにないことだったので、これはきっと当時流行していた「褒め殺し」というやつに違いない、とも思った。
 でも一体なぜ?

 これまでをふり返ると、思い当たるフシがなくはない。本研究所が編集・発行している国際学術雑誌Industrial Healthにおいて、海外の一流学者と一緒にこれまで3回もの特集号を組んだ1)2)3)。厚生労働省の労働安全衛生対策普及センター委託事業でも海外有識者を招いて、2008年から2009年の2年間に、10回の国際ワークショップと11回の公開セミナーを開催した4)。長年、本研究所の懸案事項であったWHOの労働衛生協力センターの再指定も実現することがかなった4)。イギリスで在外研究をしたいのでフルブライト委員会に推薦状を書いて欲しいと、職業性有害因子の許容基準等で国際的に影響力のある米国政府労働衛生専門家会議ACGIH物理環境委員会の米国人の前委員長から依頼されたこともある。これにも驚いて、とても自分に書けるわけがないと初めは断った。そしたら「いやシンイチの英語はうまいから大丈夫。是非ともよろしく」と言われたので、その気になって結局推薦状を書いたところ、彼は無事フルブライトに合格した。
(こういうのをあからさまな自慢というのかもしれない・・・)

 でも自分ではヒアリングがさっぱり駄目だったので、そんなに英語ができるとは思っていなかった。事実、先ほどの褒め殺しに対して、「でも私はヒアリングがさっぱりだめです」と言ったら、前理事長曰く、「君は日本語でもヒアリングは駄目だろう」・・・かくして、小生の英語ができるという前理事長の評価は、どうも聞く力や理解力のことではないようだ。
 では小生ができる英語力とは何か?

 若い頃フルブライトや科学技術庁の援助を受けて留学する機会が何度かあったが、家庭の事情で留学させてもらえず、以後国際活動には無縁とあきらめていた。その小生が国際活動解禁となり国際舞台にデビューしたのは、20世紀末に、日本でISOの国際委員会が開かれたときのことであった。その時、小生の専門とする温熱研究の世界を代表する専門家が東京に一同に集まり、新規国際規格の原案の是非が熱心に議論されていた。しかし議論しているのは、日本で開かれているにも拘わらずもっぱら欧米の研究者ばかりであり、日本人はほとんど沈黙していた。議論の半ばで、脳の温度の指標としての鼓膜温の測定法についての規格文案が議論されたが、それを見て小生としてはどうしても譲れない表現があることに気づいた。それは、鼓膜温を正確に測る目安として、温度センサーを鼓膜にあてた時に痛みを感じること、これを指標にするというものだった。その文章を見て、これは間違いだと思った。鼓膜の神経支配を考えると、痛みを指標にすることは、センサーが鼓膜にうまくあたったことを証明するどころか、むしろ鼓膜の周辺部位にしかあたっていないことを証明するものだからである。このことを是非とも伝えたいと思った。そして、とてもまともな英語とはいえない自家製和製英語でまくしたてた。小生のブロークンな英語に、欧米の専門家は、それでも真剣に耳を傾けた。この男の英語は小学生以下のひどいものだが、主張していることにはどうも重要な意味がありそうだと。
 今となっては懐かしい国際デビューのエピソードであるが、これが欧米の専門家から小生の存在が少なからず認知されるきっかけとなったことは間違いない。これに気をよくして、その後国際会議では(視力が弱いことも手伝って)できるだけ最前列に座って、ブロークンな英語で質問したりけんかを売ったりした。そんなことをしているうちに、世界の研究仲間との輪がどんどん広がり、シンポジウムやワークショップで外国から呼ばれる機会も増えていった。

 ある時こんな事件がおこった。ヨーロッパの国際会議場に到着して学会プログラムをみたら、いつのまにか小生が特別報告することになっていたのである。「そんな話は聞いていない」と事務局に抗議した。事務局は事前に依頼したはずだと譲らない。この時期は、ちょうど研究所の統合によって現在の安衛研が設立された時期に重なっていた。その結果メールアドレスが変更になっていたのだが、事務局は統合前のアドレスに依頼メールを出したようだ。でもいまさら過ぎたことをふり返って原因分析をしてもしょうがない。学会プログラムでは、明後日には小生が特別報告をすることになっている。講演者が学会場に到着して初めてそのことを知った、などといういきさつは誰も知らない。しかし確実に明後日は来る。さてどうしたらいいものか? 事情を説明していっそのこと当日ドタキャンしたるか! でもそうするのもなにか悔しいな。そしてプログラムをあらためてじっと見つめ直して考えてみた。「発表は今日でも明日でもない。明後日である。ということは、時間が少なくとも48時間もあるではないか。明日の午後は学会ツアーで時間がある。だったらみんながツアーを楽しんでいる最中に、寝耳に水の依頼講演の準備に苦しむのもおつなものか」と。やるだけやってだめだったらごめんなさい、これもすべて事務局の無謀とも言える依頼のなせるわざ、と事務局のせいにすればいい。こう思ったら急に気が楽になって、皆が学会ツアーに出かけている最中にひとりせっせと講演資料を作っていた。
 明けて当日の特別報告の顛末は、といえば、「私の今回の特別報告は事前に何の連絡もしてこなかった学会事務局の暴挙によるものだ。でもドタキャンするのも悔しいからなんとかまとめたが、内容が粗雑なことをご容赦してくれ」と喋った(と思う)ところ、会場爆笑で、なんとかその場をしのげた。講演後、ある高名な日本人研究者が近づいてきてこういった。「これまで、多くの国際会議に出ていますが、日本人の発表がこれほど笑いをとって大受けするのを見たのは澤田先生が初めてです」

 こうして小生は、英語をうまくなろうという向上心はそっちのけにして、「ヒアリングはダメ、話すのもブロークンでネイティブの小学生以下のレベル、でも外国の人は小生の話にそれなりの興味を示してくれ、ひどい英語に耳を傾けてくれる。それなら、決して英語が上手にしゃべれなくてもかまわないのではないか?とにかく言いたいことを言ってやろう」と思うようになった。
 実際国際会議では(国内会議でもそうだが)自分の専門分野の発表に対しては言いたいことが山ほどある。だからうまく話そうと考えるまもなく、思わず質問して議論をふっかける。それがたまらなく面白い。日本語なら言葉の微妙なニュアンスが気になってしまいつい躊躇する質問も、英語だとなまじよくわからないので物怖じすることもない。議論の本質にのみ集中できる。こんなやりかたでしか生きて来られなかったけれども、いつのまにか海外に随分多くの友人が出来た。彼らは今や小生の専門分野のよき共同研究者でありライバルであり恩師でもある。
 このように小生の場合には、うまい英語を伝えたいという思いよりも、自分の考えを伝えたいという思いがいつも圧倒的に勝っていた。結果として英語のヒアリングやスピーキングは相変わらず低レベルではあるが、英語でのコミュニケーション力や交渉力、討論力に関しては前理事長をして「君は留学していないのに英語がよくできる」と言わしめたのかもしれない。

 今後益々グローバル化が進み、世界のガラパゴスに留まることが許されない日本を背負って立つ若い世代にひとこと言いたい。英語が少々できなくても伝えたい思いがあれば、なんとかなるよと。だから国際舞台では言いたいことがあったら沈黙せずに遠慮なく発言したまえと。
 ただし、小生の場合は昔から伝えたい思いばかりが先行して、話しだせば止まらないし、歌いだせば、もっと止まらない。それで毎回聴衆からブーイングを受けている今日この頃である。伝えたい思いとともに、空気を読むことも大切かも知れない。

(国際情報・研究振興センター センター長 澤田晋一)
参考資料
  1. Tord KJELLSTROM, Shin-ichi SAWADA, Thomas BERNARD, Ken PARSONS, Hannu RINTAMAKI and Ingvar HOLMER (Ed.) (2013) SPECIAL ISSUE: Climate Change and Occupational Heat Problems. Industrial Health, 51,1-127.
  2. Ingvar HOLMER, Ken PARSONS, Yutaka TOCHIHARA, Shin-ichi SAWADA (Ed.) (2009) SPECIAL ISSUE Cold Stress at Work: Preventive Research. Industrial Health 47:205-291.
  3. Shin-ichi SAWADA, Shunichi ARAKI (Ed.) (2006) SPECIAL ISSUE Heat Stress at Work: Preventive Research. Industrial Health 44: 329-480.
  4. 澤田晋一(2010)国際センター三題噺.安衛研ニュース No.25 (2010-07-02).
    http://www.jniosh.go.jp/mail-mag/2010/25-3-3.html

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