労働安全衛生総合研究所

職業性胆管がんの発生と産業化学物質の管理について

独立行政法人労働安全衛生総合研究所

1.はじめに


 2014年6月に「労働安全衛生法の一部を改正する法律」が公布され、化学物質管理のあり方について見直されました。この背景には、大阪市内で発生した労働者の健康障害の事例があります。2012年、塩素系有機溶剤を洗浄剤として使用していた大阪のオフセット印刷会社の従業員および元従業員に胆管がんが発生し、大きな社会問題となりました。この事業所で使用されていた洗浄剤には1,2-ジクロロプロパン(DCP)やジクロロメタン(DCM)という化学物質が含まれていましたが、当時、これらの物質は法律による規制の対象外であったためか、十分な管理がなされなかったようです。この事例で問題となった化学物質は、労働安全衛生法(以下、「安衛法」と略)に基づく労働安全衛生規則や特定化学物質障害予防規則などの特別規則の対象外の物質でした。しかし、専門家による検討の結果、使用量や使用方法によっては労働者の安全や健康に害を及ぼす恐れがあると判断され、労災請求のあった事例のいくつかについては労災認定がなされました。

 今回の問題を契機に、従来の化学物質規制のやり方では、健康を害する危険性から十分に守ることができないという意見が広がり、安衛法の一部改正が行われることとなりました。そこで、今回は法律の改正に伴う今後の化学物質管理について、また、改正の背景ともなったオフセット印刷会社での胆管がんの発生に関しての著者らの研究についてご紹介します。


2.化学物質のリスクアセスメントの義務化


 労働現場では多くの化学物質が使用されています。これまで、8種類の禁止物質と、個別に職場での管理方法が定められた116種類の化学物質が特別規則による規制の対象となっていました。しかし、胆管がんの事例では、これらの規制に含まれていない化学物質による健康障害が発生しました。この事例を受けて、安衛法の一部が改正となり、安全データシート(SDS)の交付義務がある化学物質(640種類)を製造あるいは取り扱うすべての事業者に対してリスクアセスメントの実施義務が課せられることとなりました。また、事業者はリスクアセスメントに基づき、製造設備の改良や、これらの化学物質によるものと考えられる危険または健康障害から労働者を守る有効な措置を講じなければならなくなりました(図1)。

 化学物質のリスクアセスメントとは、化学物質を取り扱う際に生ずるおそれのある危険性や有害性を見つけ出して評価し、これを除去、低減するための方法です。具体的には、

  1. 実施担当者の決定、アセスメントを実施する単位(製造工程・取扱い工程等)の決定、対象化学物質の特定を行う。
  2. 化学物質のSDSを入手し、有害性等を格付け・特定する。
  3. 化学物質によるばく露の程度を特定(実測値の利用または数理モデルによる推測)する。
  4. 有害性評価およびばく露評価の結果を総合的に判断してリスクレベルを判定する。

から成ります。

 このリスクアセスメントの結果を踏まえて、該当する化学物質については、安衛法に基づく労働安全衛生規則や特定化学物質障害予防規則などの特別規則で定められた措置を講じなければなりません。法令に規定がない場合には、事業者の判断で、リスクレベルが高いと判定したものから優先的に必要な措置を講ずることが努力義務とされています。


図1 化学物質管理のリスクアセスメント実施義務にかかる改正点の概要

出典:厚生労働省「労働安全衛生法の一部を改正する法律(平成26年法律第28号)の概要」


3.オフセット工程における有機溶剤へのばく露と胆管がんの事例


 大阪のオフセット印刷会社の問題を受けて、厚生労働省は全国的な実態調査や疫学調査を行いました。その結果、他の印刷会社でも胆管がんの症例が報告され、特に若年者(25〜45歳)において非常に高い発生率が認められました。胆管がんが発生した大阪の印刷会社では、経営者と従業員らへのインタビューや提供された資料から、インク洗浄剤に含まれていたDCPやDCMが胆管がんを発生させた可能性の高いことが示唆されました。さらに、当研究所の実施した模擬実験では、作業現場の換気が著しく不足していたため、高濃度ばく露につながったことが推測されました。この当時、DCPは特別規則の対象外でしたが、その後の検討会において、使用量や使用方法によっては労働者の安全や健康に害を及ぼす恐れがあると判断され、請求のあった事例のいくつかについては労災認定がなされ、また、特別規則により規制されることになりました。


4.DCPおよびDCMの代謝と毒性について


 体内に吸入された化学物質は一部そのままの形で呼気中に排泄され、残りは主な解毒器官である肝臓に存在する代謝酵素の働きにより排泄されやすい形に変換された後、尿と共に体外へ排泄されます。この過程では、化学物質を体内から排泄しやすい形に変換するために多くの代謝酵素が作用し、これらの代謝酵素によって酸化反応や抱合反応が行われます。酸化反応の代表的な酵素にはシトクロムP450(CYP)、抱合反応にはグルクロン酸抱合、グルタチオン抱合(GST)等が含まれます。通常、化学物質はこれらの反応を経て、より毒性の弱い、無害な形へと変換されて体外へと排泄されます(図2)。しかし、この過程で、逆に毒性が強くなる化学物質も存在します。



図2 肝臓での化学物質の代謝

 DCPの代謝には、酸化反応にはシトクロムP450(CYP)2E1という酵素が働き、抱合反応はグルタチオン(GST)という酵素が働くと考えられてきましたが、詳細は未だ不明です。ラットやマウスを用いた動物実験では腫瘍の発生増加が認められましたが、上記で述べた胆管がん事例を除けば、ヒトでの調査研究でがんの発生は認められていません。したがって、一般的には、DCPの発がん性については、DCPが肝臓で排泄されやすい形へと変換される過程で、より毒性の強い物質が作られることによるものと推測されますが、現時点では詳細なメカニズムは解明されていません。

 一方、DCMの代謝には酸化反応ではCYP2E1、抱合反応ではGSTが関与することが報告されています。DCMの場合、GSTによる反応過程で作られた物質が遺伝子(DNA)に傷をつけ、発がんに至るというメカニズムが考えられています。筆者らの最新の研究では、酸化反応で働く代謝酵素のCYP2E1遺伝子が欠損したマウスを用いた実験で、DCPのCYP2E1による反応後の物質が急性肝毒性を誘発しうることを見いだしました。また、DCP、DCMの単独または複合吸入ばく露実験をマウスで行った結果、単独ばく露では、DCPはDCMよりDNAへ損傷を与える作用が高いことを、さらに複合ばく露は単独ばく露に比べDNAへの損傷作用が高くなることを明らかにしました。


5.日本産業衛生学会による許容濃度の勧告


 公益社団法人日本産業衛生学会による2014年度の許容濃度の勧告では、DCPの発がん性について暫定物質として第1群(ヒトに対して発がん性があると判断できる物質・要因)に分類しています。この前年の勧告では、校正印刷作業のヒト胆管に対する発がん性は明らかであり、DCPおよびDCMを含む塩素系有機溶剤を使用するオフセット印刷工程の中にその原因があるとし、「オフセット印刷工程」を発がん分類の第1群とする提案がされました。現在、引き続きDCMやオフセット印刷工程に対する発がん性分類についての検討が行われています。


6.おわりに


 著者らの研究では、DCPによる急性肝障害の発生にはCYP2E1による反応後の代謝産物が関与すると推測しましたが、現在のところ、この肝障害発生と発がんを結びつける因子の同定はできていません。また、複合ばく露による遺伝子への毒性および発がんの関係については未解明であるため、今後の研究で明らかにできればと考えております。



(健康障害予防研究グループ 研究員  柳場 由絵)

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